すべてに感謝の気持ちを




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 春分の日。春のお彼岸ともいわれ、宗派を問わずお墓参りや先祖の霊を供養する人も多い日です。

 そんな日に、富士山の麓で「マヤの長老とともに地球の平和を祈る行事」が行われました。


 そのマスター・オブ・セレモニーはグアテマラのマヤ民族長老評議会、マヤ暦のデイキーバー(マヤ暦とその予言の保持者)であり、キチェー・マヤ族の13代目の高位神官であるアレハンドロ・シリロ・ペレス・オクスラ(ドン・アレハンドロ)氏。

 3月の頭に来日し、全国で後援会やセレモニーを行った後、最後のセレモニーの地として朝霧の地を選んだそう。どんな話をするのだろうと気になっていたけど、他の後援会は仕事や何やらで日程が会わなかったため、これだけは最後だし無料だし行ってみようということで訪れてみることに。


 当初は屋外で行う予定だったそうですが、あいにくの天候だったため、セレモニーは室内で行われることに。しかし、強風&雨にもかかわらず、会場には日本全国からお祭り好き、ヒッピー、トラベラーなど、個性の強い人たちが300人以上(予測)も大集結。マヤやこうしたスピリチュアル系への関心って高まってきてるんですね。久しぶりに邂逅する懐かしの友人・知人も多く、みな年を重ねども同じような意識レベルにいるんだなと再確認。


 儀式はドン・アレハンドロ氏のスピーチに始まり、すべてのモノに感謝を捧げる瞑想などが約2時間に渡って行われました。


  私たちは様々なつながりの中で生かされている。
  大地に、山に、木に、花に、鉱物に、水に、食べ物に、川に、魚に、動物たちに、
  海に、空気に、空に、気候に、地球に、月に、太陽に、宇宙に……..
  この世に存在するありとし、あらゆるものに「ありがとう」と、感謝を捧げる。

  同じように、生きとし生ける者すべてに平和が訪れますように。

 というような内容のことを語りながら、我々も祈りを捧げました。


 長老の語る内容はごくごく当たり前の、ありふれたものかもしれません。

 ですが、忙しく日々を送る我々にとって、あって当たり前のものに気づき、感謝するという心の「スペース」が少々なくなっているような気がします。

 もちろん、毎日それだけを思って生きて行ける程、今の世の中甘くはありませんが、たまにはこうして自分が今ココにいるのは単なる偶然なんかではないということ、すべての物事は繋がっているということなどを再確認できる余裕って必要ですよね。

 みなさんもぜひ、普段は当たり前だと思っているすべての事柄、家族や友人などの近しい人たち、そして、全く知らないけれど同じ地球上に暮らすすべての人たちへ感謝の気持ちを捧げ、平和について考えてみてください。



 そうやって思うと、ほんの少し周りに対して優しくなれるんじゃないかなと。
 まずは、どうこう言う前にすべてに対して感謝の気持ちを忘れない。
 そんな優しくできる「スペース」を広げて行きたいですよね。



ドン・アレハンドロのスピーチが以下のサイトで読めます。興味のある方はぜひ。
http://www.y-asakawa.com/message/arehandoro1.htm





追記:
 また、奇しくもこの日は、ある友人の49日でもありました。
 仏教の思想では、死者の魂は死んでから49日間は此岸と彼岸の間を彷徨っていて、その間に別の世界への入口を見つけるとも言われています。

 志半ばでこの世から旅立った友が彼の地で平安を見つけられますように。
 胸一杯に感謝と愛を込めて。






 



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現実と非現実の間で

あぁ。。

そこに誰かいるのかい?



ほぉ、よくここまでたどり着いたな。

久しぶりに人間と話しをするよ。


最後に人が訪れたのは、家の前に生えている
ハイプの木に実がなる前だからなぁ。
かれこれ3年近くになるんじゃないか。


あれから随分長い時間がワシの前を
通り過ぎて行ったものだよ。


見たところ旅人のようだが、
どこからやってきたんだい。

こんなへんぴな所までわざわざやってくるなんて、
よほどの変わり者か、深い理由があってのことだろう。
それとも時空を彷徨ううちにここにたどりついたのかい?

なぁに、構うことはない。
老いぼれが独りで気ままに暮らすだけさ。
突然客人が来たってどうってことはない。

アンタがもし物盗りなら、よそへいってくれよ。
ここには物盗りが気に入るような品は何もねえからな。

おっといけねぇ、久しぶりだから
つい余計なことまでしゃべりたくなっちまう。

さあ、ドアの近くに突っ立ってないで、
中に入ってゆっくりしなさい。

そこにいたのでは、後ろからさす光で、
アンタの顔がよく見えないじゃないか。

今、アンタはどんな表情をしているんだい?

もし、アンタが満ち足りた笑顔をしているならば、
その笑顔からこぼれ落ちるぐらいの愛で
この部屋を明るくしておくれ。
そして、今までに見て来た美しい風景を、
ハラハラする大冒険を、優しさに満ちた愛の物語を
一晩でも二晩でも語って聞かせておくれ。

もし、アンタがつらく切ない顔をしているならば、
この部屋にあるありったけの灯りを点して、
アンタの心を少しでも明るくしよう。
そして、ワシの老いぼれた両の拳が
張り裂けて血まみれになるほど、
その悲しみの根源を打ちのめしてやろう。


別に語りたくなかったらそれでいい。
ただ、外はもう冷えて来た。
闇夜に飲み込まれたら大変だぞ。
あいつらは、人の心を食い尽くすんだ。

ほら、耳を澄ませてみな。


森がざわついてる。


こんな晩はじっとしてるに限るんだ。


闇夜に飲み込まれたら大変だぞ。


なにせここは「現実」と「非現実」の間だからな。




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フルーツ


 最近、食後にフルーツを食べる事が多い。


 バナナ、ブドウ、グレープフルーツ、ミカン、イチゴ、モモ、リンゴ、ナシ、キウイ、マンゴー、ミラクルフルーツ…….

 どんなフルーツでも食べれば、体をスッキリキレイにしてくれるようで、食後の満足度も高い。ちょっとした贅沢。これがセッティング完璧だとなおさらウマイ。



 数あるフルーツの中でも、好きなフルーツはと聞かれれば、真っ先に「マンゴー」と答える。


 ふくよかな果肉、鼻腔をくすぐるほのかなかほり。そして口に入れればとろけるような柔らかい食感。すっとのどを通るけれど、それでいてねっとり と口の中に残る甘味。ただ甘いだけでなく、たまにすっぱい部分もあったりする。このさっぱりした酸味がまた口の中をリセットしてくれるようで、1度食べ始 めると手がとまらない。

 甘味、酸味、食感、ボリューム、食べやすさというボクの中でフルーツの美味しい5大条件をすべて満たしている。大地の旨みをぎゅっと濃縮したようなこの味に、まことに勝手ではありあますが、「Queen of fruit」の称号を与えたい。パチパチパチ。


 今ハマっているマンゴーはタイやフィリピン産のペリカンマンゴーってヤツで、大ぶりのものだと1個200弱、小さいモノだと1個100円で買える。意外とリーズナブル。

 だが、いつか国産マンゴーを飽きるほど、ほおばってみたい。先日スーパーでお見かけした国産のアップルマンゴーは、そのお値段なんと1個 2800円! ボクが通常食べている黄色のモノとは違い、艶やかな赤色が特徴で、身も全然大きさが違う。いかにも甘そうで、プリっとしたお姿だが、高貴す ぎてワタシにゃ高嶺の花。せいぜい恨めしそうに、どれくらい熟しているのかツンツンと指で撫でてみるのが精一杯である。

 その値段もさることながら、その国産マンゴーワールドは、口のなかにどんなめくるめくワンダーランドを展開するのか….。嗚呼、夢はつのるばかり。


 そのうち、臨時収入でもあったら食べてみよう。もしくは、どなたか沖縄マンゴー園に知り合いいないすか?

 将来、マンゴー園とかやれたらいいなと思うほど好きです。




 ところで、「Queen of fruit」はマンゴーですが(勝手に決めた)、「King of fruit」とよく言われているのがドリアン。

 何度かトライしようとしたけど、無理っす。だって匂いがウ○コじゃんw 最近ようやく納豆を克服したボクとしては、匂いがキツイ食べ物はどうも苦手。タイ料理も大好物だけど、パクチーもダメだし。クサヤとかもとんでもない。

 でも、他のクサイものも美味しいように、ドリアンも食べたら濃厚なカスタードクリームのようだって聞くしね。入口が狭い分、入ったらその世界の深さに感動するってことかな。

 いつかあの味もわかるようなグルメになれるんだろうか?


 ドリアンの克服はまだまだ時間がかかりそうなので、とりあえず、ギターのドリアンスケールの修得からはじめたいと思います。



 ちょっとマイナーな響きにある味わい深さは、どこか共通するモノがあるような。。。


 ……….強引すぎますな。。


 ちなみに、ボクのなかのランクで2位以下は、モモ、イチゴ、バナナ、ブドウと続いております。
 
 みなさんはいかがですか?
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